椿のブログ

問題を解くのが趣味の人。実用性はそっちのけでまったり考えるのが好きです。

自分が嫌いになるときは成長できるチャンスかもしれない

こんにちは、椿です。

 

毎日更新!を目標にしつつ、あっさりちょうど一週間目を終えたところで土日に更新を怠ってしまいました…。

 

今日は人との関わりのこと、ですが、最近私が感じたことをお話ししたいと思います。

 

人と関わりの中で劣等感を感じたことのある人、多いんじゃないでしょうか?

私が今その真っ最中なんです。自分の中でシュミレートしてた「私」は実は結構できるやつで、頭のなかではすいすい行動できる。でも、現実にそれを行動に起こそうとすると全然そうならない。

人のやっていることを見て、要領悪いなーとか、程度が低いなーとか心のなかで思ってるくせして、実際行動を起こしたときの自分は、自分が心のなかで低く見ていた人となんら変わりない、いやむしろそれよりひどい。

そして、現実の「私」を頭のなかの「私」は今までそうしてきたように呆れて見ている。

ここでの解離が私をとても苦しめます。頭のなかの「私」も現実の「私」もどちらも私なのに片方かもう片方を嘲笑し、その結果私は自分を嫌いになるからです。

 

で、今日の題名を見てみてください。そう、このときが成長するチャンスじゃないかなって私は考えてみたいのです。頭のなかの完璧で何でも知ってる「私」は、劣等感なしには、ひいては、人との関わりなしには崩れ去ることなく、私の中に存在し続けます。ですが、その完璧な「私」は現実に引きずり出されず、頭のなかにいるからこそ完璧なのです。むしろ、人との関わりを通して自覚することになってしまった現実の「私」を嘲笑う存在ではなく、目標とするモデルとして頭のなかの「私」をとらえてあげれば、今まで感じていた劣等感は、理想の自分に近づこうと努力するきっかけ、原動力になり得るんじゃないかな、と考えたいと思っています。

 

偉そうなこと言ってますが、これを書きながら私自身も劣等感はエネルギーに変えられる!と思うことで元気出そうとしてるところです笑

 

ではでは。